京都府立大江高等学校の学力向上フロンティア計画「OE-Study」のオフィシャルサイト。

◆ 歴史のひとこま ◆ ~4月13日~

 旧ソ連、モスクワの西方約400kmの所に「カチンの森」とよばれる森があります。1943年、ここに4000人以上のポーランド軍将校の遺体が埋められているのを、ドイツ軍が発見しました。遺体は、正規の軍服を着たまま後ろ手に縛られ、首を撃ちぬかれていたことから、ドイツはソ連が彼らを虐殺したと非難しました。一方ソ連は、侵略してきたドイツ軍によって戦争捕虜のポーランド人が捕らえられ、虐殺されたと主張しました。1945年に第二次世界大戦が終結し、ドイツは敗戦国となり、ポーランドは共産化してソ連の支配下に組み込まれました。そのためポーランドは、この事件の真相究明をソ連に言い出すことができず、また西ドイツもナチス時代を全否定する立場からソ連の主張への反論を避けたため、この事件は歴史上のタブーとなっていました。

 1990年の4月13日、ポーランドのヤルゼルスキ大統領がモスクワでソ連のゴルバチョフ大統領と会談し、ソ連側は初めて公式に事実を認め、謝罪しました。1939年にドイツ軍がポーランドに侵攻、同時にソ連がポーランド東部を占領した際、捕虜となった将校がスターリン(事件当時のソ連の指導者)の命令によって、1940年5月にカチンの森で殺された、これが真実でした。事件から50年たっての謝罪でした。

 『論語』によると、孔子はこのように言っています。「過ちて改めざる、これを過ちと謂う」「過ちては則ち改むるに憚るなかれ」わかりやすく内容を言いかえるとこうです。「間違いに気付き、間違いだと知りながらそれを認めず直そうとしない。このような姿勢こそが間違いである。そして間違いに気付いたなら、遠慮せずそれを直そう。」また、中国古典の『易経』には「君子は豹変す」とあります。「豹の毛皮の文様が目立っているように、君子(立派な人)は過ちを犯してもすぐにいさぎよくそれを改める」という意味です。会談におけるゴルバチョフ大統領の態度は、まさに君子であったといえるでしょう。様々な政治的要因から、謝罪までに50年を要しましたが・・・。

ゴルバチョフ大統領はこの後、米ソの冷戦を終結させた功績からノーベル平和賞を受賞しました。彼が受賞したのは、その功績も理由の一つでしょうが、むしろ過ちを認め、それを正そうとする姿勢が評価されたからではないでしょうか。誰だって過ちを犯すことはあります。完璧な人間などいないのですから、それは仕方のないことです。大切なのは、その過ちを認めること、そしてそれを改めること。個人的な人間関係や、国と国との関係がこじれた時も同様です。
みなさん、覚えておいてください。過ちを過ちとして認めることから人間の進歩が始まるのです。


京都府立大江高等学校 
教  諭 山 田 義 治