京都府立大江高等学校の学力向上フロンティア計画「OE-Study」のオフィシャルサイト。

◆ 歴史のひとこま ◆ ~2月20日~26日~

 2月は、日本近現代史において大きな事件がいくつも起こった月です。
 1932年(昭和7年)2月22日、「肉弾三勇士」の自爆が国内に伝えられました。この前年に起こった満州事変以降、日本は中国へ侵出し始めますが、中国軍の激しい抵抗で苦戦します。そんな時にこの自爆事件が起こります。爆弾を抱えた3人の兵士が鉄条網に突入し、そのまま爆死したのです。日本軍はこの行為を、日本軍の突撃路を切り開くための覚悟の自爆と発表し、3人は「肉弾三勇士」と称えられました。しかし、この3人は途中で倒れたために間に合わなかっただけ、という説もあります。3人と同時に突入した他の3人は、爆破に成功して無事帰還しており、「肉弾三勇士」の自爆は、戦意高揚のために作られた美談であったようです。                                     
 1933年(昭和8年)2月20日、『蟹工船』を書いたプロレタリア作家の小林多喜二が築地警察署で虐殺されました。満州事変以降軍部が台頭し、共産主義、社会主義への弾圧が強まり、治安維持法によって自由が制限される時代でした。 
 1933年(昭和8年)2月24日、日本の満州侵略について調査したリットン調査団の報告を、国際連盟は採択しました。満州事変は国際社会から厳しい批判を浴び、日本代表の松岡洋右は「good by」と言い残して国際連盟の議場から退場します。この後、日本は正式に国際連盟を脱退し、国際社会に背を向けつつ、中国侵略を拡大していったのです。
 1936年(昭和11年)2月26日、2・26事件が起こりました。これは、陸軍の青年将校らが、軍部独裁政権樹立のために起こしたクーデターでした。3人の大物政治家が殺され、永田町一帯が占拠されました。このクーデターは結局失敗に終わりますが、軍部はこの後、事件が人々に与えた恐怖心をたくみに利用しながら、政治に対する軍部の影響力を強めていきます。
 ここで伝えたいのは、歴史的事実をどう解釈するか、ではありません。「『伝え方』にはいろいろある」ということ、そして「みんなには正しい『伝え方』をしてほしい」ということを伝えたいのです。
 人をだますために美談に仕立てること、人が伝える権利そのものを認めず奪ってしまうこと、他人の意見を受け入れず自分の主張だけを通そうとすること、暴力で人を従えようとすること、これらは全て間違った『伝え方』です。
 他人を誹謗・中傷するメールを送ったり、人の靴の中にゴミを入れたり、黒板や壁に他人の悪口を書いたり・・・これらも全て間違った『伝え方』です。
 君たちには、アサーティブな(攻撃的でも受け身的でもない、自分も相手も大切にする)伝え方を知って欲しい。正しいコミュニケーションの方法を、高校生の間にぜひ身につけてほしい。そのために先生たちは、これからも口うるさく注意するでしょう。聴いてください。聴くことから正しいコミュニケーションは始まるのですから。

参考文献:『いのちと平和を学ぶ今日は何の日366日』

京都府立大江高等学校 
教  諭 山 田 義 治